ドキュメンタリー ・ パイロットの苦闘 御巣鷹山の悲劇








全編(1時間)を公開





風化させてはいけない大惨事 (御巣鷹山の悲劇)

あれから22年が経った。人々の記憶からは次第に消えつつある御巣鷹山の大惨事。 しかし、犠牲者の遺族、家族にとっては20年経っても、30年経っても終わりのない悲劇である。 二度と繰り返してはならない航空機事故。

人々の記憶から段々消え去る事故を消えさせないためには毎年毎年繰り返して報道する必要があろう。
しかし、事故後21年も経過すると新聞、テレビもその報道は慰霊登山のニュースが2〜3分間程度となってしまう。

このDVDはフライトシュミレーターを使用し羽田を離陸した日航機が伊豆半島手前で異常事態発生を告げてから御巣鷹山までの 30分間を事故調等が公開している資料から「御巣鷹山までの30分間」をリアルに再現している。
ドラマではないので乗客等は一切写っていない、JAL機が異常発生を告げてから以降の30分間をどのように飛行したかを再現した ものである。したがって、ビデオに出てくるのはJAL機だけである。

圧力隔壁の崩壊に伴う垂直尾翼の破損、欠落及び油圧系統の破断。
それらは機体にどのような影響を与え、どのような不具合が生じるかを技術的に解説。

JAL123便は圧力隔壁の損傷で油圧系統が破断した時点で上昇、下降、旋回をするすべての機能を失っていた。ただしエンジンだけはその機能とは 別であり支障はなかった。しかし、エンジンは駆動していても機体のコントロールが効かないということは、機はかろうじて直進ができるのみの飛行機であった。
風が北から吹けば南に流される。南から吹けば北に行ってしまう。ただ真っ直ぐ飛ぶだけの飛行機(つまり紙飛行機にも等しい)になってしまった。
エンジン出力を上げるとノーズアップ(機首上げ)で失速する危険があり、出力を下げるとノーズダウン(機首下げ)でまっ逆さまに墜落の危険があるなかで エンジン出力の調整だけでかろうじて飛行を続けていた。

機は離陸時の危険から脱しほぼ水平飛行に入る直前の緩やかな上昇状態にあったために事故ー即墜落を免れた。
これが離陸直後であれば間違いなく即座に墜落していたであろうと言える重大な損傷である。。
フラップ、エルロン、ラダ−(方向陀)等は殆ど水平飛行に近い状態で「ロック」(操作不能)されてしまった。
  糸の切れた凧はすぐに落ちるが、JAL機もそれと同じような状態であった。しかし、JAL機にはエンジンが付いていたため即墜落は免れた。

キャプテンは東京航空管制官に「緊急降下中」という言葉を何度も発している。しかし、機は全く降下していないのであった。
緊急降下の努力はしていたが、機体はただ真っ直ぐ前に飛ぶだけであった。
管制官はレーダーで補足しているのでJAL機が高度を下げていないことが分かっていた。
そのためそのまま真っ直ぐ飛んで名古屋空港に降りたほうが良いのではないかとも考えた。
しかし、羽田のほうが緊急時の救助体制も機器も整っていることをキャプテンは知っていた。

その機体をなんとか羽田空港までもって行こうと必死に操縦を続けたパイロット3人はやっとのおもいで機を八王子、米軍横田基地の近くまで(羽田まで わずか10分の距離)もって行くことができたが、横田基地の手前で右に旋回しなければならないところ、機はなぜか左に向いてしまう。
無理もない話で風が東から吹けば西に流されてしまうのであった。

直進しかできない機をそこまで操縦して来たこと自体がその時代の操縦テクニックでは神業と言えるであろう。
それまでにいくら訓練を積んでもその時代にはそのような緊急事態に対処する訓練そのものが存在しない時代の話であった。 二重、三重の安全策が講じられていた油圧系統が全部一度にだめになるなどとはボーイング社も航空会社も誰も考えても見ないことであった。

この日航機の事故をきっかけにしてそれ以降の航空業界では油圧系統がすべてだめになった場合の操縦方法を習熟することが必要となった。 4年ほど後のことであるがアメリカでUnited Air LineのDC-10が全く同じ状態に陥ってしまった事故がある。
ご存知とは思うがその事故のビデオは http://jp.youtube.com/watch?v=0Q3kfa10M9o で見ることができる。

日航機の教訓を基に世界中のパイロットは油圧系統が不能になった場合の操縦方法を熟知する必要が生じていた。 そのためUnitedの場合も例外ではない。 UA機はかろうじて最寄の空港に着陸(といっても墜落よりはましな程度で基本的に 通常の着陸とは違い滑走路めがけて緩やかな角度で落ちていくと言ったほうが良いだろう)した。DC-10は横転、火だるまになって大破してしまった。

死者が50名ほど出てしまった。しかし、生存者も180人以上いた。
これもJAL123便の尊い520名の命がその後の航空業界のあり方、対処の方法を身をもって教えてくれたためであろう。
パイロットは「ヒーロー」として扱われた。
言い換えればこのJAL123便の520名の尊い命が後の180名の命を天国から救ってくれたと解釈するほうが良いだろう。
それにしても520名の命はいかにも多すぎた。

123便のキャプテンが「羽田に引き返す」という判断をしたのも当然で、空港に「墜落」するのであれば救助体制も整っている「一人でも多くの人に生きてもらいたい」という 判断から懸命に羽田に引き返す努力をしつつあった。

機は徐々に高度を下げ横田基地あたりでは1800mまで降下していたが、 前方には奥秩父、埼玉、長野、山梨、群馬の県境で2000mを越える山々が迫って来つつあった。
上昇しなければ「山にぶつかる」のは目に見えている。 しかし、エレベーター(尾翼昇降陀)が使えない状態では、単にエンジンをふかせば「機首上げ」でストール(失速、墜落) する危険がある。 そのストールを避けるためには非常に緩やかに上昇を続ける必要があった。
機首が上がりすぎたらエンジン出力を落とす。 出力が落ちると機首が下がるのと同時に機体の高度も下がる。それを避けるために出力を上げる。ブゴイド運動(上下の首降り 運動)の繰り返しになる。

大月上空で着陸装置を下げて機体の空気抵抗を増やして速度を下げて高度を下げた。 この時点でやっと3000m前後まで降下し乗客の「酸欠」障害を防ぐことが可能になった。 が、しかし、車輪を下げたということはその分機体の受ける空気抵抗が増し飛行速度が落ちる。そのため機体の高度は下がる。 しかし、そのままでは胴体から墜落する。 浮力が減るのでフラップを電動で下げて機体の浮力を増やす必要もあった。
今度は次の問題が生じる。フラップが下がっていると翼の揚力は増すが、エンジン出力を下げた場合急激な減速になってしまう。 エンジンをふかすと急に上昇する。ブゴイド運動は 高高度を飛行している場合よりも波長が短くなり急激になる。ちょっとエンジンをふかせばすぐ上昇、エンジン出力を下げるとすぐに下降。
これを緩和するのがエレベーターであるが、それがない。

やがて山に近づいてしまう。 次第に忙しくなる。フラップを上げたと思ったらすぐ出す(下げる)必要が生じる。機体を左右に向けて山のコースを避けなければならないが、左右のエンジンの 出力を上げたり、下げたりした場合前者(上昇、下降)の運動も起きてしまう。機体を左右に振るだけの動作が必要だがエンジンだけのコントロールでは機体の上昇、下降も同時に 発生してしまう。これらの操縦を一度にする必要があり、しかもその後の予測は全くできない。 風がどっちから吹いているかも計算に入れなければならない。

横田基地(東京、福生市)近くで機体が左(西)に向いてしまった段階で高度は1800mまで下がっていた。 そのとき目に入ったのは前方にアルプスの山々が夕闇に隠れて黒いシルエットとなってそびえ立っている姿だった。
キャプテンはつぶやく「これはもうだめかも分からんね…」
真っ直ぐ飛行するなら緩やかな上昇も可能(急激な上昇はストール、失速をまねく)であるが、ベテラン機長は「このままではあの山を越えるだけの高度まで上昇できない」と悟ったのであろう。 その山とは山梨県、埼玉県、長野県の県境にそびえる甲武信ヶ岳(2475m)であった。機を右に操り何とかこれをかわした。
真っ直ぐに飛ばない限り機体の高度は下がる。
しかし、すぐに正面に群馬、長野、埼玉県境の三国山(1828m)が迫ってくる。到達時間は数分の間の話である。時間の余裕は無い。
機はいぜん上昇と下降のブゴイド運動の繰り返しである。安定しない。
三国山上空ではかろうじて右旋回で山をかわすことができた。しかし、どちらに旋回してもそのたびに高度は落ちる。 旋回しないと正面の山に激突するのは目に見えている。
これこそ四面楚歌、崖っぷちである。

「フラップ上げ」、「フラップ下げ」、「エンジン全開」これらを矢継ぎ早にしていかなければならなかった。
山の尾根をひとつかわすたびに高度は下がる。高度はすぐに落ちても上昇は失速の危険があるから急激にはできない。
エンジンをふかす、極端に機首上げの姿勢になり失速に陥る。機首が上がっても機体の高度が上がる保証はない。 機首を下げると次に機首を上げる前に機体は必ず高度を下げる。
これを秒単位の時間で続けていかなければならなかった。
残念ながら最後はどうしてもかわしきれなかった。山の上を飛び越えるための上昇ができなかったのであった。

又、航空当局への注文ある。
Airport 75という映画が公開されたのはこの事故の10年も前の話である。誰でも知っていることであろう。
JAL機から「操縦不可能」という緊急連絡が入った段階でなぜ自衛隊の飛行機をスクランブル(緊急)発進させどこをどのように飛んでいのるか、 なぜ操縦不能なのかを現認させることができなかったのか?
5分や6分の間に墜落してしまったから間に合わなかったということであれば止むを得ないという判断もできるであろうが、30分間も飛行していたのである。 茨城の百里基地からスクランブルの 自衛隊機が発進していれば5分とたたずにJAL機に追いついたはずである。
少なくともその飛行状況を見守っていれば最後の墜落地点を現認でき救助活動ももっと早くできたはずである。
生存者の証言で「墜落直後はたくさんの人が生きていた」という声を無にしてはならない。
過ぎたことを言ってもしょうがないかも知れないが、少なくとも現在においてはこのような事態が発生した場合は自衛隊機のスクランブル発進ができる体制になっているだろうな、と 航空当局に問いたい。

あの事故を教訓として今後の救難・救助に関する対応はどうあるべきかを問う。 単なる墜落ビデオではない。

実機が飛んでいるような錯覚さえ覚える(機体は実機と同じに制作してある(コックピットを除く))シュミレーターの迫力と緊迫感は事故を風化させないためには貴重なビデオと言えるだろう。

ビデオ時間 60分
MADE IN U.S.A.


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ドキュメンタリー・パイロットの苦闘
技術編 と 総集編 各々10分30秒 (72Mb)
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(新・技術編 追加編集有)


(技術編)


(総集編)



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